Friday, December 31, 2010
Thursday, December 30, 2010
聖書 6
そんなに大切な神様の言葉には何が書いてあるのでしょうか。実は、聖書は神様からのラブレターなのです。嬉しい嬉しいラブレター、何度読んでも飽きないラブレターです。神様がどんなに私たちを愛して下さっているかを書いた本なのです。神様のあなたに対する愛の告白です。聖書は、神が全知全能で天地の創造者であると伝えます。そのとてつもない神様が、信じられないことですが、こともあろうに、こんなに汚れた人を愛して下さって、この人を救うために地上までおりてきて、自分の一人息子を送って下さった。そればかりか、その一人息子のイエス・キリストは人と共に生活をして、そして最後には十字架の上で人の罪を一身に負って死んで下さった。そして、三日目には甦って、私たちに天国の望みを与えて下さったと、書かれています。
皆さんの中にウジ虫が大好きだという方いらっしゃいますか。あまりいらっしゃらないと思います。普通の感覚からはそんなことはあり得ません。ある意味では神様はそんな変わり者なのです。神様にとってウジ虫よりももっと汚らわしい人間のために一人息子を犠牲にされたんです。それをそのまま信じ受け入れて、救いを受けたたくさんの人がいるのです。ジャンカー先生も奥さんも、そして私もすべてその中の一人なのです。もし、聖書がウソだったら、私たちほど惨めなものはありません。しかし、嘘をつくことの出来ない神様が書いて下さった聖書だから、私たちは信じるのです。
続く
Wednesday, December 29, 2010
瓦町でクリスマス讃美
Tuesday, December 28, 2010
イラクのクリスマス
Sunday, December 26, 2010
Inosuke Mori
Friday, December 24, 2010
マット・マートンとクリスマス
10月5日、阪神タイガーズのマット・マートンは、神宮球場で行われた対ヤクルト戦で、イチロウ選手が持つ最多安打記録を超えた。最後には、214になった。
「異国の日本で成し遂げた偉大な記録。それは地道に重ねてきた努力が大輪の花を咲かせた瞬間だったはすだ。しかし、マートン選手の口からは常に『もっと大事なこと』が語られた。『たとえどんなに大記録を達成したとしても、選手生命はいつか終わりを迎える。僕にとってもっと大事なことは、自分のアイデンテイテイは僕を造られた神にあるということ。神はクリスマスに、イエス・キリストをこの世に送ってくださった。そして罪のないイエスが、弱さや欠け、罪を持つ僕たち人間のために十字架にかかり永遠の命をプレゼントしてくださった。これよりすばらしいことはありません。』」
クリスチャン新聞Wednesday, December 22, 2010
クリスマスお祝い~IN~高瀬
Tuesday, December 21, 2010
高山右近のクリスマス
高山右近の父親、高山友照、は敬虔なキリスタンで、右近自身は幼いころから信仰を持った。1582年(天正10年)「本能寺の変」で明智光秀が織田信長を討った。その光秀を攻めるため出陣した羽柴秀吉(後の豊臣)の武将の一人に高山右近がいた。高槻の城主で信長にその功績を認められ昇給していた。高槻の領内の人々からも慕われる人柄だった。
1587年秀吉はキリスト教徒を追放するため禁教令を発令し、秀吉の使者は3度も右近を訪ね、信仰を捨てるように、説得しようとした。茶の師として右近が敬愛していた千利休の説得にも応じなかった。結局、右近は仕事も財産も捨てた。
その後、加賀藩の前田利家に招かれた。金沢では城の改造、設計、城下町の設計計画から土木技術指導まで行った。建築知識も深く、デザインセンスもあった。ポルトガル語も分かり、外国の技術にも詳しかった。禁令のもと一人で茶室でデウス(創り主)に祈ることも多かった。1800年(慶長5年)関ヶ原の戦いで天下を取った徳川家康はキリスト教を黙認し始めた。それ以後、キリスト信仰は右近の布教で加賀藩内に急速に広まり、信者はやがて1000人を超え、念願だった教会も建てられた。1608年金沢あげの大規模で荘厳なクリスマス・ミサがささげられた。加賀の夜に聖なる歌がなり響いた。
その5年後1613年、徳川幕府はキリスタン禁止令を発令、右近は加賀での生活を捨て国外追放される道を選んだ。
クリスマスは「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」(聖書・1テモテ1:15)事実と真実を特にお祝いするときです。
『まんが日本昔クリスマス』よりFriday, December 17, 2010
国分寺キリスト教会のクリスマスお祝い
『 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』聖書・ヨハネ3:16
私の母は、車会社のあるデトロイト市出身ですが、父は、ニューヨーク市ブルックリン出身です。父は、高校生の頃、クリスチャンに成りました。が、第二次世界対戦、フィリピンで戦い、飛行機の電機整備士でした。クリスチャンでありながらも、日本人が大嫌いでした。父は、戦争後、フィリピンに宣教師として行きたかったのです。が、父は、大学で聖書を聞いていた時、今日の箇所の「神は。。。世を愛された」と言うところに来て、「世」は日本を含み、神は元敵の日本人をも愛されることに目が開かれました。その後、50年近く、長野県の松本で日本人を愛し、キリストの十字架の愛を語り続けました。
Wednesday, December 15, 2010
欧米にないクリスマスの習慣。。。
Friday, December 10, 2010
キリストが教会を愛したように
「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。。。。 あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。」聖書・エペソ5:25&33
とても高い基準です。ですから、これによって私は悔い改めに導かれ、私を愛しご自身を私のために十字架上でささげられたお方を仰ぐように導かれます。この究極的な愛によって、私は妻を愛し、妻は私を敬うのです。キリストの恵みによって動かされ、敬愛するのです。
写:12月7日、ファミリーレストランJoyfullで奈帆とのデート。
Thursday, December 9, 2010
聖書 5
「そして、聖書が神のことばであると証明する大きいな証言があります。それは、この2000年間、そう信じてきた何千、何万、何億、何兆というクリスチャンがいることであります。彼らは身をもって聖書こそ神の間違いのない言葉であることを信じて、聖書の教えて従って歩むことによって、聖書が本物であることを証明してきたのであります。」
続く
Tuesday, December 7, 2010
Sunday, December 5, 2010
Saturday, December 4, 2010
Friday, December 3, 2010
聖書 3
「聖書は神様の言葉ですから、実は悪魔の一番の嫌うものでもあります。悪魔は何とか聖書をこの世からなくそうと一生懸命にやっきになってきました。聖書撲滅のためにあらん限りの力をふりしぼったのです。悪魔は聖書を滅ぼすことがキリスト教を滅ぼす最高の方法だということを知っていました。聖書ほどこの世から消されようとした本もないと言えるかも知れません。旧約聖書の時代からそうですが、新約聖書の時代に入っても、何度も聖書はもう少しで抹消されるという試練を受けてきました。
まずキリスト教が誕生してしばらくは悪魔が最も激しく攻撃を仕掛けて来た時代です。約300年の間、聖書を持つことは大変危険なことでした。というよりは命がけでした。聖書を持っているのが見つかればそれは死を意味していました。しかし、不思議とその間も神様は聖書が地上からなくならないように守って下さいました。多くの信仰深いクリスチャンたちがいつの時代にも与えられ、聖書は写され続けてきました。当時は大変です。印刷がないですから、聖書が欲しければ自分で写すしか方法がないのです。聖書を写すことを考えてみて下さい。大変な仕事です。それでも神様はいつもそのような忠実な人たちを送り、これを守って下さいました。
地上から消えた本はたくさんあります。また残っていても、聖書と同時代に書かれた古典の写本は、2部とか3部とかせいぜい数十部、しかも残っているものといえば、書いた時から1000年も後になって写されたものしかないのですが、聖書は命を賭けて守ってくれた信仰の先輩のおかげで、5000部を超える写本が存在しているのです。これはすごいことなのです。世間の人の中には、「聖書」と聞いただけで、眉唾物、まがい物と考えたがる人がいますが、そんなことはありません。神様はこの聖書が地上からなくならないように守って下さいました。人類救済のために欠かすことの出来ない聖書をこの世から消すはずがないのです。というわけで新約聖書は、数からいっても、また原著からの期間から見ても、飛び抜けています。とにかく私たちの持っている聖書は、歴史的にも十分信頼できるものであるということです。神様が人類救いのために与えて下さったものですから、それが正確に伝えられるようにずっと守って下さっていたのだと言えます。
一般の本だったらとっくの昔地上から消えています。ローマ皇帝ディオクレティアヌスの時代には、聖書は集められ、荷車にうずたかく積まれ、町の大広場で燃やされたという記録があります。おかしなことですが、中世のヨーロッパは、キリスト教の時代ですので、聖書は当然大切にされたと思うでしょうが、当時のキリスト教、すなわちカトリックでは、聖書はラテン語しか持つことが許されていませんでしたし、それも司祭(牧師)ですら、持っている人は少なかったのです。その時代に、聖書をみんなの読める言葉(英語)に翻訳した14世紀のジョン・ウィクリフという人は、そのことために異端とされ、死後墓から骨が掘り起こされ、燃やされて、灰は川に流されました。
Thursday, December 2, 2010
国分寺キリスト教会
Wednesday, December 1, 2010
聖書 2
「聖書を神のことばであると証明するのは、いろいろな方法があります。聖書自身がそう主張していることがあります。また、考古学などによって、その真実性を証明する方法もあります。
キリスト教はなかなか良い教えであり、その倫理性の高く、聖書の教えは喩えとしては面白いし、人生訓として最高だけれども、多くの人は聖書は神話であって、そのままは信じられないと言います。もともと歴史ではないのだから、歴史として読むのは間違っているとも言われます。
18世紀から19世紀にはそのような意見をいう人たちが多かったのですが、不思議なことに、考古学が発達して、20世紀になりあちこちで発掘が進むと、むしろそれまで神話であると思われていたことが、次々と事実であったということが明らかになってきています。聖書はそのまま信じて良いのです。
逆に聖書の言うことはきちんと聞くべきです。考古学によって今まで神話でしかないと思われていたことが、事実であることが分かってきたと言いましたが、ここで間違ってならないのは、考古学が証明するから、聖書が神のことばであるということではなく、逆であって、聖書が神のことばであるからこそ、その裏付けとして考古学が証明しているに過ぎないのであって、ある意味では当たり前のことであります。
また、聖書が我々に伝えられているその歴史を見ることによって、これはただ者ではないということが分かります。神様は歴史を通して聖書が神のことばであることを実証しておられるのです。聖書は歴史上、何度消されようとしたか分かりませんが、その度に守られ、そして全世界の人たちに分かる言葉に翻訳され続けています。」
続く