Friday, February 26, 2010
イエス・キリストを通してのみ。。。
Thursday, February 25, 2010
神の愛 (3)
2010.2.14、高瀬キリスト教会 1コリント13章
浜島敏師
しかし、愛の大きさは、そのために払うことの出来る犠牲の大きさに比例するのではないでしょうか。愛する人のためには犠牲を厭わない。一番純粋な愛は親の愛だと良く言われます。親は子供のためには犠牲を払うことも厭わない。自分の食事を減らしてでも子供に食べさせることが出来るのです。自分の健康を犠牲にし、臓器を提供することもできる。ところで、一番大きな犠牲とは何でしょうか。それは命です。友のために命を捨てる、それより大きな愛はない。とイエス様は教えられました。ヨハネ15:13
一つの感動的な実話があります。ある裁判官が一人の重罪人を裁いたことがありました。犯罪人が審判台に立って裁判官を見ると、それは自分の双子の兄でした。裁判官も、自分の弟が犯人であることに気づきました。犯人は心から赦されることを兄に懇願しました。ところが、裁判官の兄は厳しく罪を裁き、すぐに彼を投獄するように命令しました。そして翌朝には、彼は死刑にされることになったのです。ところが、夜中に急に裁判官が制服のままで、獄にやって来て、その犯人である弟に驚くべきことを言ったのです。「私は裁判官である以上、法律に違反することはできないので、お前を罪に定めた。今、私がここに来たのは、兄としてお前を救いに来たのだ。急いで、お前の服と私の制服とを取り替えて、ここから出て行きなさい。門にいる看守はお前を出してくれるだろう。お前は、遠方に行って、心を入れ替えて新しい生活をしなさい。二度とこのような罪を犯してはいけない。さあ、早く行きなさい!」そして、その裁判官は翌朝、弟の身代わりになって死刑を執行されたのであります。今ではそんなことはないでしょうが、実際に起こったようです。そして、その二日の後、このことが全市に知れ渡り、人々の大きな感動を呼んだということです。
実は、神様がしてくださったのは、ちょうどこういうことなのです。人間は罪を犯しています。人間は神様の言いつけを守らない、言わば神様の敵でした。罪など無いと言う人もいます。確かに、法律で裁かれるような罪は犯していないかも知れない。しかし、胸に手を当ててよく考えてみてください。自分の今までの行いが、その思いまで含めて全部記録されていたとします。それが再生されて見せられたら、楽しんで見られるでしょうか。止めてくれと叫びたくなるのではないでしょうか。エンマさんは、エンマ帳に私たちの行った悪い行いを全部記録しているそうです。しかし、神様の記録はもっとすごい。神様のビデオはもと性能がいい、行いだけでなく、心で考えたことも全部記録されている。とても人には見せられないし、自分も見るに堪えない。そんなのが人間です。しかし、神様はそんな罪人を愛してくださって、死刑にしたくない。何とか救う方法はないかと考えられ、自分の一番大事な息子を身代わりに死刑にすることでした。そして、その息子こそイエス様であり、その死刑が十字架でした。人間が神様のもとにいけるため、即ち天国に招くためです。神様に逆らっている人間は、もともと天国などには行けないたのです。しかし、その道を開くために、イエス様をこの地上に送ってくださった。イエス様はたくさんの素晴らしい教えをしました。でもそれだけだったら、他の人にも出来たかも知れない。それが最終目的ではなかった。あなたのために死刑を甘んじて受けること、それが目的でした。人間と神様とが和解するためです。最も大きな愛。友のためどころか、敵のためにさえ、自分を犠牲にされたのです。十字架で苦しんでいるイエス様を見上げてください。本当は私がかからなければならない十字架だったのです。しかし、神様は犠牲を惜しまなかった。人を愛しておられるからです。その愛に答えようではありませんか。どうしたら良いですか。別に何もする必要はありません。感謝をして、「罪人の私を許してください」。それで十分です。あなたもその変わることのない素晴らしい愛を手にすることが出来るのです。「われわれが神の敵であった時でさえ、御子の死によって、われわれを御自身と和解させて下さった」のです。(ローマ5:10)神の愛 (2)
2010.2.14、高瀬キリスト教会 1コリント13章
浜島敏師
愛する人に裏切られたから愛などない方が良い、という人は、その本当の愛をまだ知らないからです。愛もなかなか手に入らないので、愛などもう要らない。お金があればいいという人がいるかもしれません。また快楽を求めたりする人もいるでしょう。飲め、食え、楽しめと。しかし、お金では愛は変えませんし、快楽も長く続くことはありません。むしろ後は空しくなるのです。聖書に次のような言葉があります。今から3000年ほど前、最も知恵があり、最も豪華な生活をし、贅沢の限りを尽くしたソロモンという王様がいましたが、彼は聖書の中で次のように言っています「たとい全財産をはたいても、愛を買うことはできません」(雅歌8:7)と。また、彼はあらゆる快楽を経験しましたが、晩年になってそれを振り返って、「空、全部空で無意味だ」(伝道1:2)とも言っています。愛は何ものにも変えられないものなのです。
では、そんなに大切なのに、手に入りにくい愛とは一体何でしょうか。愛を見せてくださいと言われたら、見せられますか。残念ながら愛は見えません。が、考えてみると、私たちは目に見えるものばかり追いかけていて、実はもっと大切な目に見えないものがあるのに、それに気づかないか、気づいてもそれを無視しているのではないでしょうか。私たちは目に見える「一時的なもの」ではなく、目には見えないけれども、むしろ「永遠に至る」ものに目を留めるべきです(2コリント4:18)と聖書は忠告します。
愛にも実は一時的な愛と永遠に続く愛があります。よく、教会では愛には3種類とか4種類あると言われますが、そのことは今日はお話できません。ユダヤ人の知恵であるミシュナーという本では、愛を二つに分けています。「何かに依存している愛は、そのものが無効になれば、愛も無効になる。しかし、何にも依存しない愛は、永遠に無効にならない。」と言っています。他人に頼る愛、これは一時的です。結局はこの愛は裏を返せば、見返りを求める愛、自己愛の変形でしかありません。無償の愛こそ永遠に続く本当の愛なのです。しかし、人は何ものにも依存しないではいきて行けません。ですから、実は何に依存するかが大切だといえます。もともと変わらないものに依存していれば、その愛は不変です。あの人こそはと思っていても、裏切られるのです。人とか物に頼るのは愚かなことです。鼻から息をする者に頼ってはなりません。変わらない神に依存してこそ変わらない愛が持てるのです。
愛は見えませんが、愛の働きは見えます。電気と同じです。電気を見た人いますか。電気も実は見えませんが、その働きは見える。熱になったり、光になったり、力になったりして、私たちにその恵みを与えてくれます。愛もその働きによって分かります。愛そのものは見えませんが、その働きは見えます。お父さんが働き、お母さんが食事を作るのも家族を愛しているからです。
では、愛はどのような働きをするでしょうか。1コリント13章は愛がどんな働きをするか教えてくれます。愛は優しくて、親切です。反対に自慢したり、威張ったり、すぐに怒ったりしないし、自分さえ除ければ良いなどとも思いません。人と仲よくできます。喧嘩をしません。喧嘩をするのは愛のない証拠です。愛があると憎らしいと思っていた相手と仲直りをし、彼を許すことが出来ます。
神の愛 (1)
2010.2.14、高瀬キリスト教会
1コリント13章
浜島敏師
今日は2月14日ですね。2月14日といえば何の日でしょうか。バレンタインデーです。ところでバレンタインデーというのは、どんな日ですか。女の人が好きな男の人にチョコレートを渡す日になっていますね。これは、実は日本や韓国、そして台湾などの習慣であって、ヨーロッパなどではちょっと習慣が違っています。それを今日お話する時間はありませんが、バレンタインってなんでしょうか。
今から1750年ほど前のことです。ローマの法律では兵隊さんの結婚を禁止していました。結婚すると奥さんのほうが大事になってしまって、あまり真剣に戦争をしなくなってしまうからです。それで、バレンタインというキリスト教のお坊さんが、愛しあっている人が結婚できないのは不幸だと思って、秘密に結婚させていました。それが分かってしまって、269年2月14日に彼は処刑されてしまいました。それ以後、愛しあう人たちは、バレンタインが殉教した2月14日を大切な日とするようになったということです。男でも女でも愛する人に手紙とちょっとした贈り物をするのが習慣になりました。それが日本に伝わって、女の人が男の人にチョコレートを上げる日になったというわけです。
こういう話もあります。司祭として家の庭にある楓の葉に愛のことばを自分の教会の信徒あてに送り続けたため、それに倣って、愛のメッセージをみんなが送るようになったということです。
Wednesday, February 24, 2010
『旅』6
Tuesday, February 23, 2010
疲れている現代人へ
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」主イエス・キリスト 聖書・マタイの福音書 十一章28節~29節
Friday, February 19, 2010
かわいい "Amazing Grace."
Thursday, February 18, 2010
バレンタイン・デー礼拝
Tuesday, February 16, 2010
ジャージ・ワシントン
Friday, February 12, 2010
’希望のない時代’
私は、いくつかのNHKのクローズアップ現代で希望についての放送をみました。
‘希望のない時代‘とも言われています。『勝ち負け』の社会の中で、あまり多くの方は、仕事がないのです。ある方は、「助けて」と言えない、弱さを言えない、自尊心がない、自分を受け入れられない方がいるのです。残念ながらある方は、ホームレスになったり、ある方は孤独の中で死ぬのです。
それに対して、番組でこうアドバイスしていました。自分の弱さを受け入れ、自分を好きになることが大事だと言っていました。外からケアとインプットを求めることを解決策の一つと言っていました。「助けて」と言える社会を作り上げる重要性を語っていました。
考えさせられます。参考になると思います。はたして本当にこれで十分でしょうか?
もう一つのNHKのクローズアップ現代で‘希望学’について放送しました。
『“希望”を科学する
希望学という新しい学問が注目を集めています。東大の社会科学研究所を中心に、経済学、歴史学など40人をこえる研究者が参加し、大規模な調査などを行い、「希望とは何か」を科学的に読み解こうという一大プロジェクトだそうです。』社会に失望を感じ、その答えを見出そうとしています。
先ず、希望学の研究で分かったのは、多くの富があっても、希望にはつながらないと分かりました。聖書の通りに、多くの財産があっても、希望があるのではないのです。
しかし『プロジェクトが注目したのが岩手県釜石市でした。かつては「製鉄の町」として栄えた企業城下町でしたが、今から20年前、製鉄業の規模縮小という危機を経験した町です。希望学では、この釜石を日本の未来像と位置づけ、大規模な現地調査を行ってきました。』
釜石市では、何を発見したのでしょうか?強い繋がりだけではなく、“weak ties” (弱いつながり)でも役割を大事に果たすと研究で分かったそうです。”Weak ties”を通しても事業のためにアイデア(idea)やひらめきが出るそうです。
また、“small is OK”と言っていました。小さな町でも、あるイギリスの町のように、‘コンパクト・シテー’(compact city: こじんまりした町)を造れると研究者が発見しました。
そして、「風を起す」必要性を強調していました。今までやって来たことで良いのか?と疑問に思い、掻き回すのも大事だと言っていました。
ある方は、こう言っていました。3人に自分のアドベンチャー、試み、挑戦を理解してもらえる人が変ったことでも、危険なことでも出来る。
繋がりも大事だし、小さなものもOKだし、「風を起す」ことも良いし、良き理解者は必要です。しかし、心の奥底に本当の希望を与えるのでしょうか?人間は、より深いところに希望を求めているのではないのでしょうか?
研究者は、さらにこう語りました。自分のストーリー(story: 物語)が必要だと言っていました。挫折をする時、自分の体験したストーリーを語り、希望を持つことが出来るのだと、言っていました。
私は、この研究者は、大事な要素を発見したと思います。クリスチャンにとって、聖書のイエス・キリストのストーリーが自分のストーリーと成ると、この上もない希望が湧き出ます。
聖書のはじめの言葉に素晴らしい希望があるのです。「はじめに神が天と地を創造した。」聖書・創世記1:1 心の奥底の希望を頼りない自分や、人間や、物に置くと失望します。しかし、真の神は、私たちの心の奥底にある渇きを潤して下さる希望の神です。究極的に期待するに値するのは神唯一であります。
自分を含めて人間は、心の叫びを癒す力は、自らはないのです。財産、名誉、教育、仕事、ももちろんそうです。これらは神でないから弱い、壊れやすい、足りないものです。
人間は、神を愛し、隣人を愛するよりも、自分自身を愛し、物を愛します。個人の心に平安がないし、世界や社会をよく見ると平和が見当たらないのです。人間の自己満足の為に自然まで乱れています。戦争、飢餓、貧困、不正、差別、憎しみ、空しさ、失望、病気と死が人間の罪の悲惨な結果です。確かに、希望のない世の中です。ですから、“希望のない時代”であり、希望学という研究がされているのです。
しかし、聖書によると、希望があるのです。神は、迷い失われた私達を求めると、お定めになったのです。神は、イエス・キリストと言うお方を通して、私たちの歴史に入って来られたのです。イエスは、神と私達の間の愛の関係を、また人間と人間との愛の関係を、癒し直すために来たのです。希望を与える為に来たのです。
聖書・ローマ5:5−8 「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、 私たちに与えられる聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」このイエスの犠牲的な十字架の死によって、神との和解、人との和解をはじめられたのです。イエスは私達の罪を赦すために死なれたのです。
イエス・キリストの死人の中からの復活によって、御自身は‘主の主’である事を証明されたのです。復活を通して、将来・未来の希望を約束されたのです。
新しい体を下さるのです。古い天と地を滅ぼし、新しい天と地を造って下さいます。完全な喜び、正義、平和と栄光の世界を設けて下さいます。
神と和解するために、私達は、自分の頼りない行いでは無く、イエスの十字架の行いによって活かされるのです。私達は、信仰によって活きるのです。このような恵みによって、私達は、全く新しい人となります。イエスの力強い癒しが私達の内に、また私たちを通して働きはじめるのです。
イエスは、その生涯と十字架によって、どのように人生を送るべきかの愛の模範を立てて下さいました。‘希望のない時代‘に、主イエス・キリストによる希望が、神の恵みによって、社会に広がって行くのです。
私は、あなたの為にこう祈ります。聖書・ローマ15:13 「どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。」
DVD ザ・ホープ THE HOPE(希望) すべての人に約束された神の物語 天地創造からイエス・キリストまで80分で聖書の世界をタイムトリップ!
世界のベストセラーと言われている聖書。この書物は全て違う人生を歩んできた40人を超える人々によって、1500年もの時間をかけて書かれてきました。しかしそれら全ての著者たちは、まるで見えない手によって導かれたかのように、一人の驚くべき人物イエス・キリストに結び合わされています。世界の数多くの映画監督や配給会社の協力のもとに制作されたこの作品は、多くの人々が今まで聞いた聖書のことを、力強くそしてドラマチックに解説してくれるでしょう。<¥1,260>
Tuesday, February 9, 2010
Valentine’s Day
お知らせ:世界中に神の祝福を届けたい!
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Sunday, February 7, 2010
明日のことが心配ですか?
空の鳥を見なさい。種まきもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなた方の天の父がこれを養ってくださるのです。
あなた方のうちの誰が、心配したからと言って、自分のいのちを少しでも伸ばすことができますか?野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。
あなたがたの天の父は、あなたがたの必要を知っておられます。神の義を第一に求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて与えられます。
明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
イエス・キリスト
聖書・マタイの福音書 六章26節~30節
Thursday, February 4, 2010
宇宙は創り主の存在を表す
「初めに、神が天と地を創造した。」聖書・創世記 1:1